ロベール・クートラス

写真:平地勲

大きさには、そっぽをむいて

佐伯 誠

コルク栓に小さなコルク片で目鼻をくっつけて、あたまにブリキの冠をかぶらせたオブジェが、ペン立てにおさまっていて、いつもギョロリと目玉をむいている。浮き世のことをせせら笑っているようでもあるが、そんな立場のじぶんを憐れんでいるようでもあって、いっこうに見飽きることがない。へたをすると、たそがれの光が斜めにさしこんでコルク栓男が、うっすらシャンパン色に染まっていたりする。

手のひら大のカルトを描くことに精魂かたむけていたクートラスが、ひと区切りつけて口笛まじりでこしらえた手遊びの小品ということになるのだろうが、ひょうきんな面構えが気に入って、クートラスの兄弟分として恭しく遇してもう何年にもなる。もとはといえば、フォンテーヌブローの森近くのBois le Roiにある真理子さんとベルトランの住まいの棚に、ちょこんと坐っていたのに目を止めた瞬間、サッと真理子さんが渡してくれたもので、あちこち引っ越ししてずいぶん長い旅をしたことになる。

クートラスは、パリの路地裏をうろついては打ちすてられたものを拾ってきて、じぶんの巣へと持ちこんでいたらしい。厚手の紙だったら、もってこいのカルトのキャンバス、板きれや小枝なら即興的なアッサンブラージュの素材になってくれる。コルク栓なんかが落ちていようものなら、猟犬さながらのクートラスの餌食にならぬはずがない。こうして、いくつもいくつも、コルク栓男がこしらえられて、クートラスの仲間になっていった。界隈で、荒っぽい隠語でしゃべっている男たちのように、ヴォージラール通り226番地のアパルトマンの三階の巣にたむろしていた連中だ。

まともな扱いをされない雑多なdebrit(クズ)は、巣を補強してくれもしただろうが、世間とのしきりになって、孤立を深めることになったのかもしれない。けれども「人は犬のように死ぬ自由がある」と、こちらを遮断してしまう狷介さがあったにせよ、打ちすてられたものへ注がれるクートラスのまなざしには、のっぴきならないものが感じられる。動物がからだをおしつけて、情愛をたしかめるように、まなざしよりも素早く、サッと手が動いていたにきまっている。息もたえだえになって、冷たくなりかけていたものが、クートラスの指にふれられると、たちまち生気をとりもどして、沈んでいるどころかハシャギはじめる。いったい、どんな秘法をつかったというのか。おそらく、燐寸をするのも、タバコをふかすのも、クートラスはこれ以上ないくらいに優美にやってみせたことだろう。機嫌をそこねたおんなの顎を二本の指ですくって、ニッコリさせるくらいは朝飯前だったにちがいない。ミニアチュール(微細さ)のマエストロ! まったく、どうしようもない手の遊蕩児だ!

それがなんであれ、ものが廃棄されることについて、クートラスはぜったいに許さない。捨てられたコルク栓にこそ、王冠をかぶらせるというのが、ヒゲ面の絵男のたくらみだ。どんな王宮に住むことになろうとも、この男、ほんの一隅に巣をこしらえて、そこで小さなものを作り続けるだろう。大きさへと隷従しない、それこそがパリっ子の意気というものだ。小さなものこそが、ロベール・クートラスの隠れ家にほかならない。

ロベール・クートラスの屋根裏展覧会

写真家、平地勲氏が長年にわたり撮影してきたロベール・クートラスの作品群の写真とともに、クートラスが作品の傍に残したテラコッタ、コルク栓や雑誌の切り抜き、木片などから作ったオブジェたちを展示した。

日時:3/26、3/27、4/2、4/3、4/9(計5日間)

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Photographs: Kotaro Tanaka

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