2009年 Archive





月曜日夜は、Open A主宰の外苑前のフットサルに参加。
アメリカより帰国中の弟を連れて行く。
帰りに中華食べて、銭湯に行って、仕事に戻る。
湯船に浸かったあとは、それはもう恐ろしく眠いです。


眠気覚ましに、渡邉琢磨のブログを読む。
以前も書いたけれど、彼の文章は非常に面白いと思う。
これなんか、ほとんどブコウスキーだろう。
形態問わず、是非小説を書いてもらって、それを読みたいです。



先週、
澄敬一展@小出由紀子事務所
濱中史朗展@さる山
などを観る。
今週は、
小西紀行展@ARATANIURANOと、
「見るけはい」@MA2 Gallery
に行こう。


ボリス・ヴィアンの『日々の泡 』を読みながら、
デヴィット・シルヴィアンの新譜「Manafon」を聴く。
なんてセクシーな声なんだ。メチャクチャ格好良いです。



ARICA11月公演「TSUKAI」のプログラムが、日本タイポグラフィ年鑑2010に入賞しました。


そのARICAの素晴らしい舞台監督が結婚。
partyの為、Super Deluxeへ。
ここぞとばかりに、東京エールを飲みまくり、色々なダンサーの演目がなされるスキに、空いているビュッフェを食い漁り、フィー、とか言ってると、アイロンもかかってないが、割と気に入っているシャツにケチャップが。
あぁ。



年の瀬。
佐伯誠さんに、「YURIのアタマにチョンマゲを付けると、幕末の志士の風貌になる、と思う。 」
と言われた。しかし、願わくば、托鉢僧がいいな、と思う。


まだ大掃除はできない。
もう少しだけ、pcの前にいなければならない。








マッターホーンにて、昨年一緒に『Fish Mouths』を作った、佐伯誠さんと久々に会談。
来年に企画している、いくつかの展覧会と本について。
その場で考えついた事が、まるで、こんなことを考えているんです、といった感じで口から出てくる。佐伯さんとお話するといつもこの心地よさがある。


先日、長島有里枝が出した小説『背中の記憶』を手に取って、「あ、これもしかして面白いかもしれない」と思った。
彼女のテキストは読んだことないのに。
長島有里枝の写真を見た記憶が、勝手に彼女の小説が面白い、という未だ体験していない記憶をセットしていたのだろうか。
(というか、そういう仕掛けを編集というのか、もしかして。)
本が出来て、さてそれをどこに持っていこうか、と考えることにいつも微妙な違和感を感じるけど、本を制作していくことと同様に、あるいはその時間に、本が向かう方角を同時にセットすることはできないだろうか。

というようなことを話した、おそらく。



POSTALCOのショップにて、掛井五郎版画展を観る。
また、「眼を閉じて--"見ること"の現在」を観に、茨城県立近代美術館へ。
(水戸への車中、大滝詠一の「ロング・バケイション」聞きながら、駅弁食べてたら、このまま東京に戻らなくてよい気がしてきた。)


日高理恵子さんよりご案内いただきながら、ずっと行けなかったが、何とか最終日に滑り込む。「見る」をテーマに、ジャコメッティ、日高さんが並べられるのは興味深い。
(ちなみに、『見る人―ジャコメッティと矢内原』(みすず書房)を読みたいんだが、高くて高くて、古本屋を探すもなかなか見つからず。どなたか発見したら、ご一報ください。)


ジャコメッティがそうであるように、日高理恵子さんも、「見る人」である。
そして掛井五郎さんは、「見えてしまう人」だろう。
POSTALCOのマイクさんが興奮して、道具を描いた版画を見せてくれたが、スプーンとフォークとお皿のドローイングには、それらの道具を初めて見て描かれたような、奔放さと自由さがあった。
デザインも、記憶を更新するわけではなく、沈んだ新しい記憶へジャンプできないものかな。



Deerhoofを繰り返し聞きながら、そのままでも食べられるシリアルに牛乳をかけて流し込むように、幸せな年越しを目指して、年末の仕事に精を出しています。バリバリ








昨年、作品集のデザインをした
造形作家の勝本みつるさんのHPを制作しています。
(まだ途中ですが、exhibitionoddのページが見られます)
勝本さんのプロジェクト、oddの展示が、本日まで小出由紀子事務所にて開催中。
12月半ばには、MA2 Galleryで展覧会があります。
どうぞ是非。
+
二枚のcdをデザイン中。
一枚は、映画「バオバブの記憶」のために書き下ろした楽曲から制作されたトベタバジュン氏の2ndアルバム「African Mode」。
前作『青い蝶』の中の大貫妙子との共作「静かの海」は素晴らしいです。
もう一枚は、愚兄のバンドNGATARIのCD「Nebular for Thirteen」。昨年発売した『スプルースの化石』をReパッケージし、PROGRESSIVE FOrMより発売。アートワークは秋山花さんにお願いすることになりました。
「African Mode」は2010年1月、「Nebular for Thirteen」は、2010年2月発売予定です。



風邪が良くなり、銀座をグルグルして、
ジャン=ミッシエル・アルベロア展@メゾンエルメス
トーマル・ルフ展@ギャラリー小柳
柴田敏雄展「a View」@BLD GALLERY
などを観る。


彩の国さいたま芸術劇場で、Rosas「ツァイトゥング」を観る。
バッハ、シェーンベルク、ヴェーベルン。全体として、僕は大変興味深く観たのですが、特に、一人の男性ダンサー(おそらくマルク・ロリマールというダンサー)の動きが、かなり変で、面白いものだったです。
しかし、終演後隣に座った男性が「ナニこれ、ぜんっぜん意味わかんねーよ!」と割と大きめの声で言っていて、そんなことは、自宅に帰ってブログを更新すればいいのにな、とオープンマインドになった感じが、キューっと狭くなってしまいました。
用がない、ということはわりと重要だけれど、あんまりそんなことは口にしないように、と、自戒しました。








ARICA公演「Tsukai」を見にきてくださった方々、
遅ればせながら、お礼申し上げます。ありがとうございました。
僕は、映像投影のため、ずっと3Fのブースから観ていたけれども、冒頭の15分、空間と気配、安藤朋子の身体と亡骸の動きに息を飲む。改めて、彼女の存在感と緊張感に嘆息せざるをえない。
神村恵さんとトチアキタイヨウさんの、奇妙だがそんなに異常でもない動きも、面白かったです。特に段ボールと遭遇する彼ら。


「動物の行為は情報を発見する途上にありながら、情報について予期的に知っている。...あることを知るために開始された行為は、その行為が未来にもっと深く知ることになることよってその動きをつくられている。」
(『アフォーダンス入門――知性はどこに生まれるか』佐々木正人)


「エネルギーと情報の流れ。生命現象の本質は、物質的な基盤にあるのではなく、そこでやりとりされるエネルギーと情報がもたらす効果にこそある。」
(『世界は分けてもわからない』福岡伸一)


来年1月にはインド公演があります。
フィンランドの方々が観にきていたので、それも決まると尚良いです。



しかし、無理がたたり、目下発熱中。
久々に高熱を叩き出したが、まだまだ自分の身体も鈍感ではないのだ、と少し安心する。
三年前くらいまでは、GWと年末に決まって、40℃近い熱を出して寝込んでいたので、その頃に会得した解熱方法を駆使する。
うまく解熱できれば、身体は心地よくリニューアルされる。
何重にも重ね着+マフラーをして、毛布と布団にくるまり、「フゥー、フゥー」と言いながら、ひたすら汗をかき、着替え、水分摂る。以下、繰り返し。
明け方、ちょっとだけ熱が下がっている。
まだ頭がボーッとしているが、今週来週は本当に休めない。
〆切は山のようにあるし、週末には、終了間際の展覧会をたくさん覗かなければならないのだ。


10月末に、リキッドルームにて、細野晴臣、sighboat、
先週末は、ザ・スズナリで、鉄割公演を観ました。
来週は待望のRosas公演です。








大分緩和してきたけれど、不眠が酷かった。
そもそも眠れないことが多いが、大体が床に就いてから、1、2時間ほどで目が覚める。そうすると、もう眠れない。もちろん翌日の日中は恐ろしく眠い。あぁ、これなら夜になったらすぐに眠れる、と思うのだが、夜になると結局目が覚める。
アルコールも試したが、ダメで、仕方なく仕事したり、本を読んで朝が来るのを待つ、という有様。やれやれ。


まあ、主たる原因は分かっていて、最近ロクでもないことに、考えごとばかりしていたからだ。本当はあまり考えないで、自由に行きたい。シンプルで分かりやすい方がいい。しかし、本能的な人間は、「さぁ、本能的に行こうかな」なんて言ったりしない。
何だか、こんなのはイヤだなと若干落ち込み気味です。



今週はとてもバッタバッタしている。
しかし、皮肉な事に、不眠症気味のため時間があるので、何とかなっている。
そしてその合間を縫って、仕事とマッタク関係なくポスターを作る。文筆家の佐伯誠さんにテキストをお願いし、夜な夜なコソコソと。
タイトルは、「letter and poster」。二期倶楽部(「letter from nikiclub」)の仕事を始めてから、「個人的なことが見知らぬ人へ届く」ということがテーマになりつつあって、それを考える必要があるからだ。これを基にして、展覧会を企画したいと思っているのだが。



11月6-8日、宣伝美術を担当しているTheater Company ARICAが、川崎市アートセンターにて新作公演を行います。
タイトルは「Tsukai」。
「商行為を担ってきた個人がいつしか、「モノ」を贈り、「言葉」を伝える存在へと移行するプロセスが描かれる。」(概要より)かもしれない。
ちょうど必要があって、内田樹の『下流志向』を読んでいたら、こんなことが書いてありました。


「沈黙交易を実際に立ち上げたのは、「最初に贈り物をした人」ではなく、「最初に贈り物を受けた人」なのです。交換においてプレイヤーはつねに遅れて市場に到着します。...」


ふぅむ。僕は、昨年のNY、東京公演に続き、おそらく映像をやります。きっと最高傑作でしょう。是非、お越し下さい。詳しくは、newsへ。







Theater Company ARICA新作公演「Tsukai」


演出・美術/藤田康城
テクスト・コンセプト/倉石信乃
出演/安藤朋子・神村 恵・栩秋太洋 
作曲・演奏/猿山 修・高橋永二郎・平本正宏


日時/2009年11月6日(金)20:00 7日(土)18:00 8日(日)16:00
会場/川崎市アートセンター アルテリオ小劇場
Tel.044-955-0107
〒215-0004 川崎市麻生区万福寺6-7-1


料金/
前売予約:3,500円 当日:4,000円 学生:2,500円(日時指定・全席自由)
※受付開始は開演30分前を予定。
学生券は当日開場時に学制券のご呈示をお願いします。


ご予約・お問い合わせ/
ご予約はHPの「ご予約・お問い合わせ」より、必要事項を記入のうえ送信してください。







不眠です。お知らせばかりです。



10月23日より、横浜美術館グランドギャラリーで始まる、志村信裕展「うかべ」のお手伝いをする。目下、パンフレット製作中。詳しくは、newsへ。

10月24日より、南青山の書店BOOK246で始まる、藁谷由香里展「DRESS」のフライヤーを作る。友人の飯島真理子さんの尽力で行われます。お近くへお寄りの際は是非。

恵文社一乗寺店が発行する『みんなの古本500冊』に寄稿する。
年末に恵文社で行われる古書市に併せて制作される本で、それぞれが自由なテーマで四冊の古書を選び、レビューを書くというもの。恵文社のスタッフで、大変お世話になっている銅版画家の山下陽子さんからのご依頼でしたので、快諾したものの、ヒイヒイ言いながら締め切りギリギリで何とか脱稿する。
年末に京都へ行くことがあったら、涙なしには書けなかった駄文を読んでください。

ワタリウム美術館での連続トークショー、明日で7回目。やっと半分である。
15回分のチラシを最初に全部作ってしまおうか、などと浅はかにも思っていたが、やはり無理だった。ブーブー言うくせに、追いつめられないとやらない。やれやれ。
12月まで、ほとんど予約が埋まってしまいましたが、
12/24 藤原徹平(建築家)×THEATER PRODUCTS
01/14 長谷川豪(建築家)×岡田利規(チェルフィッチュ)
はまだちょっとだけ空いている様です。是非どうぞ。



シネマライズで、是枝裕和の『空気人形』、ジム・ジャームッシュの『LIMITS OF CONTROL』を観る。

東京アートミュージアムで楢橋朝子展を観る。

青山ブックセンターで、『utsuroi』の上映会に顔を出し、監督の澤野計さんと若木信吾さんのトークを聴く。

KING OF CONVENIENCEの新譜『Declaration of Dependence』を聴く。いいタイトルだと思う。
最近の酷く暴力的な気持ちがいささか治まる。良かった、彼らがいて。
一頻り仕事を終えた連休最後の夕方に、これを聴きながら『ノルウェイの森』を再読。ビールが飲みたくなったが、何だかもったいないし、そのまま仕事の資料をサクサク読む。
それから、ジム・オルークの新譜『The Visitor』を聴きながら、英語の参考書をペラペラ捲った。
一曲だけ、38分。でも長くはない。これは全然長くないと思う。


(『Declaration of Dependence』の中の「Mrs.cold」が本当に素敵だ。MVもいいし、何よりその中に出てくる眼鏡をかけた女の子がとっても可愛い。ビールを飲まずにはいられない)







志村信裕展「うかべ」


会場/横浜美術館グランドギャラリー・美術情報センター
会期/2009年10月23日(金)〜11月23日(月・祝日)
時間/16時〜18時(金曜日は20時まで)
休館日/毎週木曜日
入場料/無料


詳細








9月中ユーロスペースで行っていた、フレデリック・ワイズマン映画祭。三回券を購入し、初期の「チチカット・フォーリーズ」「肉」、日本初公開の「エッセネ派」の三つを観る。
ノーナレーション、ノーミュージック。ストーリーを付け加えたり、何かの文脈で括ったりしない。
切り取るもの(撮るもの)と、切り取り方(撮り方)が決定されたら、そこからもう移動しない、というよりはその決定にほとんどのことが関わっている、ということが重要だ、と思う。
(例えば、木工師が木を、あるいは彫刻家が石を選ぶように。)
しかし、その視線は決してアノニマスなものではない。確かにワイズマンのそれだ。



OSIRISの新刊、清野賀子写真集『至るところで 心を集めよ 立っていよ』を購入。
序文に、パウル・ツェランの一節がある。
(多和田葉子の『カタコトのうわごと』に収録されていた『パウル・ツェラン詩集』の書評が素晴らしかったのを覚えている。その書評が面白くて、遡って読んだのだった。)
受け取りが可能かどうかも分からないようなサインがここにはあるだろう。それは、そのサインの為の窓が開かれているかどうか、の問いかけ自体でもある。サインが退屈なことも多いが、サインがないものは、もっと退屈だ。



写真美術館にて、北島敬三展を観る。
庭園美術館にて、「ステッチ・バイ・ステッチ」展を観る。
府中市美術館にて、「多摩川で/多摩川から、アートする」展を観る、さらに日高理恵子さんのアーティスト・トークを聴く。



来春に開館予定の島根県立弥生の森博物館のグラフィックを担当することになる。


驚くことに、9月がもう終わろうとしている。
今以上に慌ただしい年末がくるだろう。そういった予感はいつもあるけれど、来年の仕事が色々と決まりだしたことで、来年以降のことを強制的に決定し、何だか希望(のようなもの)を感じている。これは不健康だろうか。それでも、最低な今日よりも明日のほうが多分いい、と感じるのは希望だ。


「十年も経てば、人は別人になってしまう。自分も相手も、肉体的にも社会的にも、変わってしまうのだ。その過程で多くの他人に出会う。...理想としてあるのは、尊敬し得る相手との、動物的なセックスだ。...思い出なんかを生きのびる力にするくらいだったら、死んだほうがましだ。」
はじめての夜 二度目の夜 最後の夜』村上龍


そういうことだろ。そういうことだといい。







9/16よりEcritのHP上にて、「Ecrit - Relay Column」を展開することになりました。エクリに縁のある様々な方にテキストを寄稿していただき、毎週更新していくこの企画。題材は、書評、レビュー、物語、と自由です。
(ここに寄せられたテキスト群は、エクリ内にある青焼き機によって少部数印刷され、執筆者にのみお送りする予定になっています。)


第一回は、エクリ主宰の須山実です。


vol.01 1/3(全3回)
「From ラストサムライ」
須山実(エクリ主宰・編集者)


読む








GP Galleryで、鈴木親展「CITE」を観て、LUMEN(タブロイドシリーズの写真集)を買う。
裁ち落としで強制的に(あるいは、意図的に)写真が分割され、読むことを拒むようなページ構成、編集がおもしろい、と思う。



Blinks of Blots and Blanks」展のため、倉石信乃さんと、青森、八戸市美術館へ。設営後、地酒と美味しい食事にやられる。
ふらふらとホテルへ戻り、i-Tunesで二階堂和美を聴く。
涙が出てくる。
出張先のホテルで、疲弊し泥酔した労働者が、PCの前で呆然としながら、涙を流している。
力を全て吸い取られそうな絵である。


翌日、改めて露口啓二の膨大な写真群を観る。
「地名」「ミズノチズ」「on 沙流川」の三つのシリーズに、新作がある。
被写体との奇妙な距離に違和感を覚える。そしてその被写体に必然性が感じられないのだが、「正直」というのが往々にしてそうであるように、「必然性」なんて大体が信用できない。必然性がなくても、「そこ」で「撮る」必要がある場合が重要だ、と思う。「いま、ここ」からでは見えない風景があるだろう。


東京に戻る前に、The「いま、ここ」の十和田市現代美術館へ行く。が、3秒で見終わる。


帰京後、そのままTARO NASU Gallery宮本隆司写真展オープニングへ。翌日、ささーっと早起きして、遠山記念館と川越市美術館へ、長澤俊秀の展覧会を観に行く。とても遠い。



EcritのHP内で、リレー方式のコラムを展開することになりました。初回は、エクリを主宰している私の父です。
詳しくはnewsへ。








ここ最近、珍しく気分が優れない。
自分の身体と、それ以外の(自分の思考を含めた)なにかとの距離感の取り方に失敗したような、ガサガサして酷く質感の悪い壁が目の前にある感じだ。こういう時は、話さなくていいことを話し、聞きたくないことを聞くことになり、


「説明しなくては分からないということは、説明しても分からない」(『1Q84』)


ということすら忘れてしまうので、できるだけ黙っている方がいいだろう。とにかく、そのおかげで全く仕事が進まない。やれやれ。


深夜思い立ち、数年振りに、本当に久々に、RosasのDVDを引っ張りだし、観てみる。「Rosas danst Rosas」。
学生時代、あるダンス招聘会社に出入りしていたこともあり、DVDになっていない作品もほぼ全部観たけど、映像作品の中でも、「Rosas dans Rosas」と「Achterland」が最も好きだ。
脳がゆっくりと弛緩して、またキュッと引き締まるのが分かる。
観てよかった。気を取り直して、PCの前に座る。
クセナキスを聞きながら、バリバリと仕事をする。夜が明け、日が上がり、また日が落ちるまで。「Blinks of Blots and Blanks」のための映像作品が何とか形になる。



ギャラリー無境へ「ロベール・クートラス展」を見に行く。
クートラスは、カードサイズの作品群を「私の夜」(あるいは、「わが闇」)と呼び、日記を綴るように毎晩描きためた(らしい)。何にも寄りかからないそれらには、夜に含まれる毒のような暗さと、笑い声さえしそうな妙な明るさが同居している(「闇」という字の中には、音がある)。

絲山秋子の『沖で待つ』と『ラジ&ピース』と『ばかもの』を読む。うーむ。面白い。
救いようのない場所で、救いを求めず、その場所の理由を探そうとしない(探すことができない)人物に共感する。

先週末で、私はとうとう26にまでなった。名古屋にいる友人が、気分を察してか、お祝いの電話をくれる。ありがとう。26になったことで笑いが起き、最近観た映画や小説の話をする。
アメリカにいる弟からもメールが届く。去年は電話だったし、しかも一日間違えてる。まあいいや、ありがとう。
しかしまだまだ、全然気分が優れない。なので、昨夜、松本人志『しんぼる』を観て来て、帰宅してアイロン掛けに専念した。
というか、気分が優れたことなんかあったかいままで。覚えていない。







9月18日から、八戸市美術館で開催する「Blinks of Blots and Blanks」展に、詩人の倉石信乃さんと共作で映像作品を出品します。他の出品作家は詩人・吉増剛造、写真家の露口啓二、画家の伊藤二子。
僕は、露口啓二さんのプリントが見られるのが楽しみですが、露口啓二さんの写真、青森の地酒のために、新幹線に飛び乗ろうじゃないか、という方は是非。

詳細は、HPにて。







ワタリウム美術館で始まった、

Dialogue and Studies in XXX 15人の建築家と15人の表現者による対話実験


ルイス・バラガン展の関連イベントとして行われるこの企画は、今注目の若手建築家15人と独特で枠にとどまらない活動をしている表現者15人の対話シリーズ。
タイムリーで錚々たる顔ぶれは、今回の企画者で、建築家・藤原徹平さんの人選によるもの。
初回に必要なオリジナルファイルに、各回の資料を入れて、ご自分のファイルを作っていただくことになるのですが、奇想天外な組み合わせと、そこで発生した磁場によって、人それぞれの、かなり可笑しくて新しい資料になる。(かもしれません)
是非、ご参加ください。

詳しくはHPへ。







もろもろのグラフィックデザインを担当した映画、「utsuroi 写真家18人からのメッセージ」の公開を記念して、青山ブックセンター店内にて展示をしています。
上映は、東京都写真美術館にて、9/19より公開。
その後、青山ブックセンターでは、10月より月一で年12回の上映を予定(毎回写真家を呼んでのトークあり)
あと、仙台の塩竈フォトフェスティバルでも上映するようです。
どうぞ是非。








早速、ビールを飲み過ぎる。外で飲んで、帰宅しても飲んだため、身体が酷く重い。昼前にむっくと起きて、メールを一通り返した後、熱いシャワーを浴びる。アジャスト。
布団をベランダに引っ張りだし、溜まった服を洗濯機に放り込む。お米を研ぎ、洗いっぱなしの食器を棚に戻し、床にザッと掃除機をかける。その間に宅急便でアイロンとアイロン台が届く。友人がくれた。阿部海太郎を聞きながら、簡単にブランチを作る。読書後、ポキポキと首と手の骨を鳴らし、PCと対峙する。



吉田修一の新刊『キャンセルされた街の案内』収録の「零下五度」が面白いと思う。
韓国に旅行中の日本人女性は、とある韓国映画が思い出せない。その映画を見た時に、強い幸福感を感じたことは覚えている。また、その女性と街で一瞬すれ違う韓国人の男、彼もまたあることが思い出せない。それは、いつか読んだ日本の小説だ。この物語も、彼をとても幸せな気持ちにさせた。でも、そのタイトルが思い出せない。実は、この映画と小説は同じものかもしれない。二人が微かに思い出す物語の断片は似ているが、ディテールは所々違っている。
テキストやイメージが更新されていくこと。
事実と異なって住み着いた記憶。思い出せない記憶。完成していたはずの音楽が、また新しい楽譜になっていくように、変容が可能だということはとても大切なことだと思う。

ワタリウム美術館「ルイス・バラガン邸をたずねる」展の関連イベント「15人の建築家と15人の表現者の対話実験」が始まる。

初回は、建築家の長坂常さんとD-BROSの植原亮輔さん+渡邉良重さん。
長坂さんが、「抜き差しなる建築」とお話されたことに、とても感動する。
きっと彼は、与えられた空間をまずウロウロするのではないだろうか。そこには、「それ」があるかもしれない。とりあえず、見つけた「それ」を、手に取ってみる。何かに使えるかもしれない、と。ブリコルールのその人たちみたいに。
別の何かをどこからか持ってくるのではなく、そこにあった「それ」で、その場を更新していく。「それ」は、例えば、優れた小説のような、変容可能のマテリアルと「受け入れる」姿勢、あるいはその状態のことだ。








以前、ベトナム料理屋で食事をしている際、空いたビールのグラスを見た店員に、どうされますか?と聞かれ、何も考えずに同じものを頼むと、一緒にいた知人は、「僕はベトナムコーヒーで」と言った。その時に、「間違えた」と思った。ベトナムコーヒーが飲みたかった。


間違い起こす前に、それに気付くにはどうしたらいいか。
問題を知る前に、正解(に近いこと)を知っている必要がある。それは身体の精度のことだが、どうやって向上させることができるだろうか。
ということで、秋の課題は、冷蔵庫と冷凍庫の使い方を正確にすることです。


「私は部屋に戻ると食料品を冷蔵庫にしまった。肉と魚はきちんとビニール・ラップに包み、冷凍するべきものは冷凍した。パンとコーヒー豆も冷凍した。豆腐は水をはったボウルに入れた。ビールを冷蔵庫にしまい、野菜は古いものを前の方に出した。」(『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』村上春樹・新潮社)


これくらい。



ワタリウム美術館「ルイス・バラガン邸をたずねる」展の関連イベントとして、9月3日より来年まで行われる、「Dialogue and Studies in XXX 15人の建築家と15人の表現者の対話実験」のチラシや毎回配られる資料をストックするファイルなどのデザインをする。
出演者はとてもタイムリーな、錚錚たる顔ぶれだけど、その人選は建築家の藤原徹平さんによるもの。詳しくはHPへ。
全部の回を来たフットワークの軽い方は、かなり面白い教科書が出来上がる、かもしれない。

9月16日から、八戸市美術館で開催する
Blinks of Blots and Blanks」展に、詩人の倉石信乃さんと共作で映像作品を出品します。
他の出品作家は詩人・吉増剛造、写真家の露口啓二。
まだ何にも手をつけていないけど、大丈夫かな。
なので、9月は青森へ旅立ちます。さよなら、夏と8月と余分なビール。








HPに使用しているサーバーのメンテナンスがあり、その直後にデータが全て消える。訳が分からなず、サーバー会社に問い合わせると、こういうこともあるんです、という。何か怖い人たちを激昂させるようなことを書いたりしただろうか。
とりあえずメインのページはデータが残っていて、復旧できたが、noteページは相当に労力がいるので、時間がある時にでもやろう。


そういえば、HP自体、久しく更新していなかった。
今月中には、ここ4ヶ月分くらいの仕事をアップしないといけない。4ヶ月も更新していないので、もはや誰も見ていないかもしれない、と顔面蒼白で震えていると、時折HPを見た、といってくださる奇特な方がいらっしゃる。
私自身は特段更新されていないけれど、noteくらいは更新しよう。書くことで、その書かれた未来へ更新していくこともあるかもしれないし。だから、書いていることはウソではない。少なくとも、悪気はない。



伊井直行の『愛と癒しと殺人に欠けた小説集』読了。
何より、素敵な装幀だと思ったが、収録されている「えりの恋人」は、何とも変な気持ちにさせる小説だ。まったくすっきりしないけど、物語を読んですっきりするのは、不健康な感じがするから、いいのか。
少し未来の僕へ。
残り少ないsummer readingは、知人二人に強く勧められた、色川武大の『狂人日記 (講談社文芸文庫)』と、中目黒のたらの芽書店で購入してから、ずっと放置してあるエイミー・ベンダーの『私自身の見えない徴』にします。








Wonder Site shibuyaで、「Hello! MIHO KANNO」、
Claskaにて、「裸形のデザイン O氏のコレクション」、
BankARTにて、小池一子企画「INTERVALLO 幕間」展を見る。

あちち。



休日。
あまりに暑くて、食欲が減退している。
味噌汁を作っても、飲む気がしないので、ヨーグルトに頂いた蜂蜜を入れて、これまた頂いたブルーベリーを放り投げて、食す。少し胃が動いてきたので、素麺に、オクラ、ミョウガ、キューリを放り投げて、食す。頂いたビールを飲んで、昼寝する。
それから、むっくと起きてTVを見ていたら、暑さもあいまって、この世の終わりのような陰鬱とした気分になってきたので、TVを窓から投げ捨て...
ようかと思ったが、「もういらないんだ」と言って、静かに実家に進呈する。家からTVがなくなった5分後に、「さて、スポーツニュースでも見ようかな」と、リモコンを探しはじめる。もちろん、ない。なるほど。ではビールを飲みながら本を読むとしよう。



文庫本、堀江敏幸『いつか王子駅で (新潮文庫)』には、荒川洋治の解説がついている。
「文学ととても親しい関係にある現実を、「私」はよろこびをもってひろいあげ、書き表すのである。」(『いつか王子駅にて』文庫本、荒川洋治「文学のくるま」より)


小島信夫『アメリカン・スクール(新潮文庫)』の文庫には、保坂和志。
「原因はないのだ。カフカの『変身』でグレゴール・ザムザがある朝巨大な虫になってしまったことに原因がないように、小島作品では事件も気持ちの変化も原因なく起こる」
(『アメリカン・スクール』文庫本、保坂和志解説より)


好きな作品の解説は、大体が「そう!」と思う。
この「そう」は、おそらく何か違うもので,感じた「そう」であるのだが、誰かの言葉が、勝手にかつての自分の言葉と繋がって、今の言葉になる。呼んでいた時は、「そう」思ってなかったのに、解説をよんで、「そう」思った、と感じる。
解説を経て、良質な読書となった。








zine's mate tokyo 09、無事に終えました。
見にきてくださった皆さま、ありがとうございました。
ゆっくり他ブースを見て回れなかったけれど、VACANTで出展していた、charwei tsaiという女の子と仲良くなって、彼女の作品集を買う。これがオモシロい! 今年はオーストラリアで展覧会と行っていたけれど、次の日本での展覧会がとても楽しみです。(何より本人が最高にチャーミングだ)


一日で生活を通常の仕事モードに戻す。ガシャン。
今月一杯はバタバタしている。



GALLERY SIDE 2NADiffで行われるマーク・ボズウィック展のflier。
マーク・ボズウィックは、『i-D』や『purple』の写真、cat powerのジャケット、マルジェラとのコラボレーションで、知られる写真家。学生の時分に写真集とDVDを買ったことがある。
本人より送られてきた、レイヤーが重ねてあるような写真を見て、捲れるfilerにしたいと思う。板紙にペラッペラの紙が一部合紙してあるのだが、ペットの袋からflierを取り出して、はじめてそれが一枚ではなくて、二枚であることに気付く。手の中で、一枚が二枚になったことで、軽くなる。重ねていって、軽くなれたら、どんなにいいか。
+
群馬県立館林美術館「エコ&アート展―近くから遠くへ」の広報物、カタログ、サインなど。
「エコ&アート」というタイトルには、始め度肝を抜かれたけれど、ロバート・スミッソン、バックミンスター・フラーなど、作家の選定がおもしろいと思う。石川直樹は、自身の作品と一緒に猪谷六合雄の遺品をインスタレーションしている。ミズラックのプリントも見られます。9月23日まで。
+
GELATIN SILVER SESSION」プロジェクト。その活動を追ったドキュメンタリー映画『utsuroi 写真家18人からのメッセージ』の広報物、ブックレットなどのお手伝いをしている。公開は9月、東京都写真美術館と塩竈フォトフェスティバルで。その後、青山ブックセンター本店で、月に一度全12回一年間上映。その後全国を巡回予定です。鑑賞券付きブックレットは、目下製作中!



柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方』で、高橋源一郎が柴田元幸訳のチャールズ・ブコウスキー『パルプ』が、日本翻訳史上最高傑作だというので、とっても読みたくなる。中目黒の古本屋「たらの芽書店」で購入する。
エイミー・ベンダーの『私自身の見えない徴』、伊井直行『愛と癒しと殺人に欠けた小説集』も購入。
ハッとする。ブコウスキーの文体(柴田元幸訳の)と渡邊琢磨の音の奇妙さって似てないか?







テキストやイメージなどのマテリアルが、「印刷」や「本」というパッケージを通して、「形態」と「形体」を与えられる時、そこには固体が液体になるような、物理的変容があると思う。喫茶店には、「絞り立てオレンジジュース」というメニューがあり、コンビニエンスストアでは、オレンジ風味の「オレンジジュース」という飲み物を売っている。どれも、何かしらの「都合」で生まれたのだろうけど、一度そんな「都合」を気にせず、木からオレンジをもぎ、絞り、コップに注ぐまで、全部をやってみたいと思った。今回、そうやって作ったオレンジジュースを、「Zine's Mate Tokyo」という机の上に置くことにしました。


(アートブックフェア「Zine's Mate Tokyo」に寄せて)








7月10日から、ユトレヒトとロンドンの『PAPERBACK』が共同開催するZINE'S MATE TOKYO ARTBOOK FAIR '09に、出展します。
編集者の佐伯誠さんと一緒に「Transforming Matter」というプロジェクトでの参加です。GYREvacantの二カ所での開催ですが、僕らは、GYREです。今回のために購入した青焼き機(ジアゾ複写機)で、二つのタブロイド版の印刷物を作ります。


「0 / 'Fish Mouths' and 'letter from Niki Club' 佐伯誠と須山悠里の仕事」
「1 / Mike Abelson Interview by Makoto Saeki」


ZINE'S MATE TOKYO ARTBOOK FAIR '09
会場/EYE OF GYRE・VACANT
日時/7月10日(金)~12日(日)11:00~20:00 入場無料
レセプション/7月9日(木)18:00~20:00(招待制となります)


青焼き機は、感光紙と版下原稿を光に通し、現像液をくぐらせるので、紙は湿って出てくる。それを乾かすというイメージで、木材のラックに糸のハンガーを掛け、タブロイドを空に置くことにする。また青焼き機は濃度が選べるので、濃度を調節しながらいくつかのパターンを作ることにした。背や表紙が一定の方向を向かない書架と濃度が選べる印刷物。
(什器の制作は、大学時代の友人の渡部直也君にお願いしました。彼は、テキスタイルデザイナーなんですが、モノづくり・手作業はお手のモノです。)


村上春樹は、短編小説のことを、「エクササイズ」と言っていたけど、僕もそんなつもりで、今回制作に取り掛かりました。テキスト、印刷、書物について改めて考えを巡らしました。
すぐに足が速くなりたいというよりは、誰かに急かされたりしないレースのために。
身体の部位を具に意識しながら、更新を促すストレッチのように。


「科学は話され、文学は書かれる。前者は声に導かれ、後者は手に従う。それぞれの背後にあるのは、同じ肉体ではなく、したがって同じ欲望ではない。」(ロラン・バルト『言語のざわめき』「科学から文学へ」より)


「記号化されたリンゴは実際のリンゴとは別のものでありながら、ある部分ではこれと不可分である。しかしまた、記号化されたリンゴは、それを読み解く者にとって千差万別の認識を呼び出す。」(酒井道夫『印刷文化論』)








机まわりに物が多すぎるので、ザッと掃除する。
ここ最近酷く忙しかったはずだが、きっちり『1Q84』は読み終えている。次は先日頂いた、黒川創『かもめの日』(新潮社刊)を開いてみる。グイッと惹き込まれ、続きが読みたくて、次の日鞄に入れて、家を出る。
電車の中で、これまた頂いた、sonic youth『ETERNAL』を聴きながら、読む。ほとんど聴いてないか、あるいは本を読まずに聴いているけれど、時々音の断片と、頁の中の小さな一節が重なる(気がする)。『かもめの日』は、そんな話かもしれない。


「一つひとつの作品は、単独で完結してものでありながら、それぞれの話が互いにどこかで有機的につながっている。そして、それらの全体が、この世界のような姿をなしている。」(『かもめの日』より)


話を語る登場人物がコロコロと変わって行く。読んでいて、誰の話なのか分からなくなってくる。誰かの話だったはずが、誰かから誰かへ移って行く時間(頁)が、物語になる。誰か分からなくなった代わりのきかない点たちで結ばれた線が。


誰かと誰かがしているキャッチボールをしている。
自分の位置からは、キャッチボールの軌道だけが眺められる。
ボールが行き来しているのだから、誰かが投げている、ということは分かるのだけど、その人たちは見えない。そんな「軌道」との距離について考える。



リゾート施設、二期倶楽部の会員向け広報誌を編集者の佐伯誠さんと一緒に企画・制作した。その0号が完成。「個人的なポスター、あるいは匿名な手紙」というようなことを考えました。久々に活版を使用。印刷所は「活字弘陽」で、これから、年に四回発行(するかもしれない)。
しかし、基本的には手に入らないと思うので、興味がある人は貰うか、拾うか、僕を脅すか、してください。








六本木ミッドタウンの21_21 DESIGN SIGHTで、5/28から行われる「骨」展で、『Fish Mouths』が販売されることになりました。もし観に行く事があったら、是非手に取って、「何これ! おもしろーい!」と声を上げていただければ幸いです。


また、ロサンゼルスの「South Willard」というセレクトショップでも販売が決まりました。
バイリンガルで作ったので、これはとても嬉しいです。



『Fish Mouths』を一緒に制作した佐伯さんは、文化学院という学校で講義を持っていらして、一度聴講したいです、と申し上げた所、勢い余って授業に参加することになる。
話す事が何もないので、慌てる。助けてほしいので、学芸大学の古本屋「流浪堂」へ。もちろん誰も助けてくれないけど、大体何かは落ちてるので、それを杖にする。
荒川洋治『読むので思う』を購入。


「日記は実際にあったことに従うものではない。ときに別の岸に流れ着く。現実や、思うところとちがう道をとり、ちょっと笑って、どこかへ向かう。そんなことが一日のなかにあるのだ。面白いことだ。人にとって、とてもいいことだ。日記のように生きられたら、どんなに楽しいことだろう。」(「日記のように」より)


素敵な杖だと思い、意気揚々と授業へ。
うむ。全く方向感覚がないので、杖を持ったまま、森を彷徨った一時間半でした。



80年代にポストYMOと言われていたTPOの幻のCD『TPO1-25th Anniversary Edition』。
そのTPO1のプロデューサー本間柑治が、81年に立ち上げた「PROJECT GREEN」。
その音源が、『TPO1』同様ブリッジレコードより再発されることになり、ジャケットのデザインを造形作家の勝本みつるさんと一緒にお手伝いしました。

「音の観葉植物」という共感覚的なコピーがおもしろいと思う。じきに、CDショップなどに並ぶと思うので、もし見かけたら、是非手に取って、「何これ! 聴いてみたーい!」と声を上げていただければこれまた幸いです。








5、6月は何故か東京写真月間という月らしいです。
表参道画廊にて行われる、箱山直子写真展「New Gardens」の、広報物やブックレットのお手伝いしました。以下、キュレーションをされた倉石信乃さんのテキストと詳細です。
Newを見に行きましょう。


New Gardensには、日ごろ私たちの見落としている、穏やかだが実際にはしぶとい「自然」の秩序が祝福されてある。その緑と花の領分は、気まぐれな人為の介入を受けとめてなおつねに新しい、生命のかたちを伝えているのだ。


東京写真月間2009 倉石信乃企画
箱山直子写真展「New Gardens」
場所/表参道画廊
日時/2009年5月25日(月)~6月6日(土)



7月より始まる群馬県立館林美術館での企画展のお手伝いをすることになる。
出品者は、石川直樹や日比野克彦、リチャード・ロングにロバート・スミッソンなど。
そのなかに、バックミンスター・フラーの名があった。
確かcowbooksに古書が売っていたな、と思って、青山店へゆく。見当たらないので、店員さんに聞くと、洋書を何冊か出してくれたが、探していた本とは違く、しかもちょっと高額で手が出ない。仕方がないので、ABCに行って、文庫本『宇宙船地球号マニュアル』を購入。家に帰宅して、驚愕する。
cowbooksで探していた『バックミンスター・フラーの宇宙学校』が私の本棚にあった。








先月、あまりにバタバタしていて、気付いたら空腹の如く空っぽ。特にこれといって見たいものはない、にもかかわらず何かを見たい気分だったので、GWで、まとめて美術館に行ってみる。パクパク。


でも、結局は、満腹の如く、脳が見られる限界は決まっていましたので、疲れました。
小山登美夫ギャラリー京都で見た、トム・フリードマンの映像がおもしろいと思う。
500枚の原画を12秒の映像にして、それをループさせているものらしく、それぞれの画が所々繋がりながら、しっかりと連続せずに高速で進むものだから、本ほどこちらのペースで見られず、映像ほど勝手に侵入してこない。
さて、では、何を見ているのか。



スポーツ番組を見ていたら、チャンピオンズリーグのセミファイナル1st legのハイライトをやっていて、チェルシーの監督、フース・ヒディングが、対戦相手であるバルセロナのMFリオネル・メッシについて、こんなことを言っていました。

「彼の良い所は、複雑に考えない所だ。」


閑話休題


先日、藝大に写真映像論の講義を聴きに行った。
倉石信乃/写真のモダニズム再考:ロバート・フランク


教室につくと、ほとんど満席。生徒ではない気まずさがあり、
しかも、僕は若干遅刻してしまったので、大人しく後ろの方のスペースの床に腰を降ろす。ひんやり。
前の席に座っている生徒が、部屋の間取り図を書いて、家具をどこに置こうか悩んでいた。ぼんやり。
近年、多くの写真集が再版され、『THE AMERICANS』の刊行50周年を記念して、回顧展が全米を巡回しているロバート・フランクだが、今年、日本でも『The Americans』のコンタクトプリントを構成した写真集が発売された。
講義では、コンタクトプリントを見せながら、そこに収録された、彼が彼の写真について語った言葉がそのまま語られる。
素晴らしいのは、ロバート・フランクの言葉がまったく単純であることだ。特にプリントは配られず、板書もされなかったが、スッと飲み込めたと思う。ゴックン。
「この写真集は良い本だと思う。何故ならそこにコンセプトがないから。...」(と聞こえた)
この後に、とても重要なことが語られていたと思うが、それは忘れてしまいました。
さて、では、何を聴いているのか。








4/8~4/19、NOW IDeA by UTRECHTでのオードリー・フォンドゥカヴ展「des ailes」、4/25にBOOK246で行った、Gutevolkさん、ユトレヒトの江口宏志さんを迎えてのイベントが終了。
展覧会最終日に行った、羽を作る子供のワークショップもうまくいったと思う。何より、始めは熱中していた羽のその不自由さにうんざりし始めた子供たちが良かった。

この後は、引き続きBOOK246で、5/11まで、
その後、ミッドタウンのMUJI BOOKSで、5/12~5/24まで
京都の恵文社さんで、5/1から5/15まで、ブックフェアを行います。
どれもどうぞよろしくお願いします。



grain-d'aile』や、それにまつわる展覧会の制作を終え、本と展覧会を両方を見てくださった方から「本を手に取りながら原画を見る楽しさがあった」と、メールを頂く。
ベンヤミンは「翻訳者の使命」の中で、こんなことを言っていました。


「翻訳にとって原作は、それが翻訳者とその作品とを伝達の労苦と秩序化からすでに解放しているかぎりにおいてのみ、本質的なのである」(『ヴォルター・ベンヤミン著作集6』晶文社)


イメージやテキストと印刷物について、
改めて、しばらく考えてみたいと思っています。
例えば、オレンジとオレンジジュースの関係


その1
木からもぎったオレンジをその場で絞り、コップに注がれたジュース、
その2
「絞り立てオレンジジュース」というメニュー(400円くらい)
その3
オレンジの味のする粉を溶かした「オレンジジュース」(缶・100円程度)


おそらく2と3は、それぞれを飲みたい人がいるから生まれた種類ではなく、「」内は、ただの何らかの都合である。だから、「そこ」に「飲みたい人」はいなかった。
どれも悪くはないけれど、たまには「都合」がなくて、しかも、オレンジとオレンジジュースが同じ卓上にあるような光景もいいと思う。
で、その場面では、きっと渡邊琢磨のピアノが合うに違いない。








OK FREDが定期的に行う、「OK FRED GORILLA STORE」へ。
今回出品していたのは、スウェーデンのデザイナー、マリン・バウマン
アルファベットを連続させることで、パターンを作っているプロジェクトがあって、
これに何だか惹かれる。文字を連続させたり、フォームとカウンターフォームを反転させたりして、グラフィズムを生むことは、よくある手法な気がするけど、反復のリズムが微妙で、アルファベットが判読できない。と思ったら、時々サッと目の中を通り過ぎたりするし、アルファベットは表音文字にも関わらず、何故かそこに昆虫などの具象的な要素が感じられる。
見えるものと見えないものが、同時にあること。そのあわいでを目が行き来すること。通常の記憶をサンプリングすることで、新しい記憶にしてしまうこと。
そこに惹かれたと思う。



年に4回発行する、水にまつわる、とあるPR誌の表紙撮影のため、毎号写真をお願いをしている島製作所へ。
今回のシリーズのテーマ、「湯気」を撮る。
僕は、家にポットがなくて、やかんでお湯を沸かす。
火にかけてる間に、ヘッドホンで音楽なんて聞いてたりすると、気付くともの凄い勢いで沸いていたりする。



先日、渋谷を歩いていると、父の同級生で、ドキュメンタリー映画のディレクターをしているYさんと遭遇。
僕が小さい頃から、お互いの家を行き来していて、とても好きなおじさんである。
ほんの少し立ち話をした後、「その辺でビールでもどうですか?」と言われたけれど、「打ち合わせがあるんで、すんません」と逃げた。
彼が以前言ったことで、覚えていることがあって、それは、酔っぱらってとても上機嫌になり、彼が息子のKに、「人をバカにするな」と言ったことだ。素直で繊細で聡明なKは、コックリと頷いていた。
他者や他者の言動に、違和感を持った時に、同意できない時に、その人を「バカにしない」でいられるかどうか。本当に難しい。全然出来ない。
飲めば良かったなぁ、ビール。平日の15時くらいだったけど。








エイミー・ベンダーの短編集『わがままなやつら』(角川書店)の中の「アイロン頭」を読み、涙が止まらず、O-nestで二階堂和美を聞いて、タイムスリップしたかと思ったけど、どこにだかは分からない。そうこうして、丸亀市猪熊源一郎美術館に小金沢健人展「動物的」を見に行って、大笑いした。
にもかかわらず、車中用に、三島由紀夫の『金閣寺』『潮流』を持って行ったのは、何だか失敗。


頭のハードディスクはグチャグチャ、メモリー不足。
告知です。



エクリの新しい本、『grain-d'ailes グランデール』が4月20日に刊行します。
ポール・エリュアールが1951年に書いた唯一の童話に、東京在住のフランス人アーティスト、オードリー・フォンドゥカヴが絵を描きました。
以下、展覧会やイベントです。全部是非!



オードリー・フォンドゥカヴ展「des ailes 羽たち」
場所/NOW IDeA by UTRECHT
期間/2009年4月8日(水)~4月19日(日)
(展示期間内、書籍の先行発売を行います)


『grain-d'aile グランデール』の原画と羽のインスタレーションの展覧会。場所は、ユトレヒトの新しいギャラリースペース、NOW IDeA。大きな樹の間から差し込む木漏れ日が気持ちの良い空間です。羽のインスタレーションは、以下の書店に移動してゆきます。


場所/BOOK246(東京・青山) 期間/2009年4月20日(月)~5月11日(月)
場所/恵文社(京都) 期間/2009年5月1日(金)~5月15日(金)



『grain-d'aile グランデール』刊行記念 朗読・トークイベント
出演/オードリー・フォンドカヴ+Gutevolk(西山豊乃) 
トークホスト/江口宏志(ユトレヒト)
場所/BOOK246店内 
日時/2009年4月25日(土) 15:00~16:30
料金/1,500円 定員/40名(要予約)
申し込み/03-5778-6899(BOOK246)








宣伝美術や映像で参加しているシアターユニットARICAが、東京芸術見本市 tpam09に出品します。去年は、ショーケースで小作品を上演しましたが、今回は映像のプレゼンテーション。
tpamとは、国内外の制作者が来る演劇、ダンス、音楽などの舞台芸術などのマーケット。(だそう。)
でも、一般の方も見られるのかな。多分、見られます。良かったら、是非。



『Fish Mouths』を一緒に作った佐伯誠さんと、
とあるリゾート施設の広報物の企画・制作をすることになり、
ウンウン唸りながら、二階堂和美『また おとしましたよ』を聴いている。

村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』の中の好きな一節に、
「良いニュースは小さな声で語られる」というのがある。

知っている人に朗報をお知らせする、というニュアンスではなくて、街で知らない人の耳元で、クスクス笑いながら、「こんなことがあったんだけど」と、いきなり個人的な話をしてしまうイメージを考える。
手紙なのに、誰に出しているか分からない。
ポスターだけど、凄く個人的。


「手紙」と「ポスター」、両方の機能を備えていること。
そのあわいを行き来していること。








大崎善生の小説『ディスカスの飼い方』を読む。
本屋で「あれ」と、手に取った。奥付を見たら、「あ、そうか」と思った。装幀が「鈴木成一デザイン室」だった。ともかく読んでみようかなと思い、買いました。

ディスカス、という熱帯魚を知ることで、世界と、そしてかつての恋人と繋がろうとする男の話だと思います。


「オムライスを作ることが上手くなることよって、都市の機能を理解することもあるし、セックスが上手くなることだって、あり得ないことではない」


何かの宇宙を把握すること。そこに「ポエジー」がある。



菊地信義の『新・装幀談義』(白水社)を読み直す。


「既知(囲い込み)を未知(解き放ち)へと転じる、手の内の劇、その謎を解こうとする心の動き、それが読むという行為の火種となる」


実は、大学時代に半年ほど、菊地さんの授業を聴講していたことがある。
(とある授業を担当するはずだった先生が急逝されて、代役で半年間菊地さんが担当されることになり、履修していなかったけど、毎週忍び込んだ。凄く楽しかった。)
その後、大学を中退したあと、詩人の蜂飼耳との対談を聴きに行って、
「蜂飼耳さんの本を装幀された頃から、装幀に変化があるように感じるのですが、それには意識的ですか?」と質問した。
信じられないことに、菊地さんの返答をよく覚えていないのだが、対談終了後、「ちょっといいですか?」と菊地さんに手招きされた。そして、菊地さんは「ああ言ってもらえて嬉しかった。君に感謝します。どうもありがとう」と言った。僕は胸がいっぱいになった。という思い出があります。


本棚に突っ込んであって、帯もキレイな文字、印刷に関わる本を読もうか。
たまには、何かを把握するべく少しは努力したほうがいい。








荒川洋治さんの文化学院での講義を聴きに行く機会があり、詩集を一冊読み、『ラブシーンの言葉』(四月社)を読み直した。
『ラブシーンの言葉』は、相も変わらず、かーるくて素晴らしい教科書である。
その後、タナダユキの『百万円と苦虫女』を観る。
苦虫は、咄嗟に口に飛び込むのではなく、日常的にそこに潜んでいて、時々現れては噛まれるということだと思う。それを、人生は甘くない、という(のかな?)。そんなことは、二度と思い出せないくらい、いつも忘れてしまうが。だから、「こまやかに味わいたい」(『ラブシーンの言葉』より)
そんなの甘いかな? いや、甘くない。



糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」が発行した
『吉本隆明の声と言葉 その講演を立ち聞きする74分』を購入。
吉本隆明の講演記録のアーカイブした(なんと6943分、cd115枚分。)、『吉本隆明 五十度の講演』の、立ち聞きバージョンである。
そのcdセットとdvdセットを制作、発売するまでの経緯を糸井重里がサイト内のコラム(前編後編)で書いていて、それが凄くおもしろい。


自分が購入した本が凄く良くて、それを誰かに貸す。


物質的な「本」とそれを良いと思う「人」について考える。
「その本」を手渡せる「その人」には、どうやって出会うのか。
それが、問題。
「贈ること」を考えたとき、もう相手はいる、かもしれないが、
「贈るもの」を考えたとき、まだ相手はいない。
いや、いると思うのだが、どこにいるのか分からないし、その相手も自分だとは知らない。
さて、どうやって出会うのか。それが、問題。








1月25日発売の『装苑』3月号で、『Fish Mouths』(エクリ)の成り立ちについて、マイク・エーブルソン、佐伯誠さんと一緒にインタビューを受けました。
他、『Fish Mouths』の掲載情報はこちら



今更、という感じかもしれないが、昨年末に『ウェブ進化論(ちくま新書)』、『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する(文春新書)』を読んだ。特に『ウェブ進化論』がおもしろかったので、著者の梅田望夫と平野啓一郎との共著『ウェブ人間論(新潮新書)』、『ウェブ時代をゆく(ちくま新書)』も読む。
ロングテール現象、Amazon、流通のことなど、改めて考える。やはりAmazonは、出会いたい本に出会うためのシステムだと思う。そうではなくて、たまたま入った書店で、偶然手に取って読んでみたら、とてもおもしろかった。という状況をいかに意図的に作れるのか。
道筋を提供するのではなくて、その地点を共有すること。
まだ知らない既知に出会うこと。
同じ場所から、違う風景を共に見ること。


また、佐伯誠さんに勧められて、レム・コールハースの『行動主義―レム・コールハースドキュメント』(TOTO出版)を読む。
プレゼンテーションの際に、制作されるブックレットに刺激を受ける。もっと面白かったのは、コールハースと共に多くの建築を手掛ける、エンジニアのセシル・バルモンドのインタビューで、パターンとメタファーの話は、とても刺激的だった。
それで、彼の著書『インフォーマル』を購入。
分厚いし、困難な感じがするので、長い移動距離がある際に、読もうかと思います。







あけましておめでとうございます。
やりたいことも、やらなくてもいいけどやることも、あわせて楽しくいきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



昨年に引き続き、『Fish Mouths』のフェアをMUJIミッドタウンで行っています。
お近くにいらっしゃる際には、是非立ち寄ってみてください。


以下詳細です。
場所/MUJIミッドタウン店
会期/2008年12月20日(土)→2009年1月5日(月)
場所/MUJI銀座松坂屋店
会期/2009年1月6日(火)→2009年1月20日(火)



monkey business』の3号3.5号のサリンジャー号を読む。
ナイン・ストーリーズ」の柴田元幸の新訳、柴田元幸とチェルフィッチュの岡田利規のサリンジャーについての対談など。


「小説の細部を何もかも覚えておくことなんてできないから、どんな小説かってことをすぐに忘れてしまう」
「人間には常に体がある。普段僕らは、例えば誰かと話しているときに、自分の気持ちを伝えやすくするために体を用いているわけじゃないのだけど、でも体はそこにあるから、何かしてないわけにはいかなくて、何かしてないということは不可能で、だから結局体を使っていて、つまり体はそこにあるから何かしている。」(岡田利規)


ミケランジェロ・アントニオーニの「欲望」もそんな映画だと思う。そこにはほとんど風景しかないが、その構図、リズム、スピード、色だけでストーリー足り得る。





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