2010年 archive


    フランツ・カフカ『世界文学全集29 城 変身』河出書房新社/1962年
    小島信夫『アメリカン・スクール』新潮社文庫/1967年
    村上龍『限りなく透明に近いブルー』講談社文庫/1978年
    レイモンド・カーヴァー『必要になったら電話をかけて』中央公論新社/2004年
    多和田葉子『犬婿入り』講談社/1993年
    村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』新潮社/1994年
    ロラン・バルト『零度のエクリチュール』みすず書房/1871年
    ヴォルター・ベンヤミン『ベンヤミン著作集6』晶文社/1975年
    三浦雅士『考える身体』NTT出版/1999年
    柴田元幸+高橋源一郎『小説の読み方、書き方、訳し方』河出書房新社/2009年


    「奇妙な文体に惹かれる。不安を与えられながら、同時に笑いが込み上げてきたり、酷く暴力的でエキセントリックな描写なのに、通低音のように静かな空気が流れていたり、淡々と語られる背後で驚異的なスピードで時間が進んでいたりする。文字を追っている最中、ずっと耳元で囁かれているような感覚を持つこともあれば、読後にどこか別の場所へ移動してしまっていることもある。"日本語"を読みながら"日本人"から遠く離れたりもする。
    これらは、文体の持つ"属性"みたいなものによる作用だと思うのだが、よく分からない。きっと作者だって、そんなこと分からないだろう。ただ、そこには、高橋源一郎が「『固体』としての小説と『気体』としての小説と『液体』としての小説、それらを繋ぎ合わせている『ひとつのより大きい』何か」と呼ぶものがある。"タイポグラフィ"は、その変容する"何か"が他者の身体を通過し、もう一度変容した結果ではないだろうか。」


    (『idea #343』、「タイポグラフィをめぐる書物」寄稿)


    雨がザッと降って、風が吹いて、夏を連れ去った夜に、
    ビールを飲みながら、窓を開け放って聴いた。
    どんな音が鳴っていたのか、今はもう覚えていない。
    ただ、短い音の断片が、"元の場所"に戻れず、"ここ"に取り残されている。
    それだけで、"ここ"は"さっき"と随分と違う世界になったようだ。
    また明日、あるいは窓を閉め切った冬の寒い日にも聴いてみよう。
    その時にも、何も記憶を作らず、また別の断片を残していくだろうか。
    おそらく、そうやって、"物語"は長い時間を読み継がれてきたのだ。


    (CD『apart my surround』に寄せて)


    優れた音は、予めそこにあったような音として、流れ出す。Penguin Cafe Orchestraの音楽は、いつでも違和感なく、台所の食器の音、カーテンの揺れる音、外から聴こえる犬の鳴き声のように響く。しかも、日常のちょっとした事件のような、お皿の割れる音、怒ったような強風や子供の泣き声といったユーモアも含まれているから、退屈しない。仕事に疲れたら、ペンギンの給仕がいるカフェでコーヒーを飲むのだ。


    (『Rookies Life』「仕事場で聴く音楽」に寄せて)